ようちゃんと付き合う期間が長くなればなるほど、私は不安になっていった。
高校2年になると、学年中が進路について考え出す。
進路を考えると同時に自分の未来についても考えた。
「このままようちゃんと付き合って行ったとして、この先はどうなるんだろう?」
という気持ちに支配された。
進学、就職、結婚、出産…
まだ幼かった私にはどれも想像がつかなかったけれど
「当たり前」とされている一般的なライフイベントが普通の幸せだと思っていた。
このまま女どうしで付き合っていたら、その半分くらいしか経験できないまま生きて死んでいくんだろうなと漠然と思った。
私が冷静に将来について考えているのに対して、ようちゃんは今を精一杯生きていた。
自分の思考に入り浸る私と、
常に連絡を取って居たいというようちゃん。
温度差が生まれていた。
開いていく温度と一方的な決断
ようちゃんとはメールの頻度でよく喧嘩をした。
(今はLINEだけど当時はメールでした笑)
ようちゃんが、一通500文字くらいある長文のメールを10通送ってくる間に私が返すメールは短文メール1〜2通。
もはや私の受信メールボックスはようちゃんの日記帳だった。
私の所属して居た部活は、強豪と呼ばれて居た剣道部で「伝統」とか「かわいがり」とかなんとか言って理不尽なよくわからないルールがたくさんあった。
中でも、一番わけがわからなかったのは、
先輩の前では一切私語厳禁。
どんなに遠くても先輩や先生の姿が見えたら「聞こえるように」挨拶をする。
(聞こえなかったら挨拶をする意味がないとか)
私語厳禁なのに、携帯を触っていようものなら放課後の練習時にどんなシメられ方をするのかとその日から数日間は授業中に震えながら過ごさなければならない。
そのくらいエグかった。
教室に居ても、いつ先輩が来るかわからないので気が抜けなかった。
(特に用はないのに難癖つけるために嫌がらせで来る)
そういう背景があって、教室であってもあんまり携帯に触りたくなかったし、人とも極力話したくなかった。
朝練で朝早いし、放課後の練習で夜遅いので教室では大体寝てた。
という旨を、ようちゃんには全て伝えた。
そういう異常なコミュニティがあるということを理解してもらえず、言い訳だと言われた。
くわえて、「異常だから先生に訴えたらいい」と言われたが、それをやれと先輩たちに指示しているのは先生だった。
何度か説明したものの、一向に理解を得られなかったので諦めた。
私はわかって欲しかった。
ようちゃんはそんなことどうでもいいから連絡が欲しかった。
目的の相違だということで諦めた。
分かり合うことを諦めたので、もうわかりあえないんだなって思った。
メールの催促は相変わらず。
温度差も相変わらず。
ようちゃんのことは好きだけど、生涯の色々なものをなげうってまで一緒に居たいかというと、それは違った。
致命的な喧嘩や、別れを意識するような出来事はなかった。
けれど、じわじわと真綿で首を締められているような息苦しさと将来への不安が拭えなかった。
どこかで終わらせなければならない。
そう思った私は、一方的にようちゃんと付き合う期限を決めた。
今考えると、途轍もなく自分勝手だなと思う。
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私がビアンになるまで【ようちゃん編】別れたい - 男の知らない世界